人生はなぞるものじゃない、描くものだ。

"人一人が一生をかけて描いた絵は何よりも美しい"私の人生で出会った人のことや、僕が日々考えていることをかいていくブログ。

上司の仕事とは

デキる上司とデキない上司。

優秀な上司と使えない上司。

 

これは企業理念、文化、人事評価、また部下によっても変わってくるため、

一概にランク付けやレッテルを貼るのは早計だ。

 

私が尊敬する上司は、まず自分の頭で考える人間だ。

 

例えば、社長や部署の方針、つまり、

上からの指示が具体的な数値目標だったとする。

「今月の利益目標は500万とする。」

これに対して、どう対処するかが二つにわかれる。

 

1、そのまま言われた通りの言葉を部下におとす上司。

2、500万を達成するための具体策、叩き台を部下におとす上司。

 

1の上司は、

「今月の利益は500万だ!しっかりやるように!」

「今月の利益は500万だ!きみはどうやって達成する?」

つまり、ただ上からの指示が中間を通っただけ。

ヒラメ上司とかいわれるが、私はスピーカー上司といってる。

ただ、聞き取りやすいように音量をあげただけだ。

 

しかし、この指示では部下は多くの疑問を抱く。

なぜ500万なのか。背景は?ねらいは?目的は?

それを上司に聞いても、「上の命令だ」これで終わりだ。

 

とにかく、500万の利益を作る。さてどうするか。

あれをして、これをつかって、、、よし!いけるかも!と、上司に提案すると、

「失敗したらどうするの?」「それでほんとにできるのか?」「だめだ」

といった具合だ。

つまり、責任はあるが、裁量がない。背景も知らされず、ただ500万という数字だけが一人歩き。

 

昔、どこかの国で行われた罪人への償いが、ひたすら穴をほることだったらしい。

なぜほるのか?なんの意味があるのか?いつまでやるのか?

そんな疑問には一切答えてくれず、ただ穴をほれ。これだけだ。

 

どうだろう、まさにこの罪人へのやり方と一緒ではないだろうか。

ただ違うのは、何も罪を犯していないという点だ。

これでは単なる奴隷、家畜だ。

 

この末路が粉飾や過労死に繋がっているのだと感じる。

 

さて、

2の上司は違う。

500万という目標に対して、部下たちをどう動かせば達成できるのかを考える。

Aは営業が得意だからAにさせる、その点デスクワークはBが迅速だから今月はBに少し手伝ってもらおう。そしてCは、、、、

といった具合だ。

そして、部下A、B、Cに伝えることは、500万ではなく、それぞれ行動の指示だ。500万という目標を共有してもしなくてもいい。

 

もちろん、ここで部下からの提案や方針変更が提供されるかもしれないし、そのまま承諾するかもしれない。

どちらにしろ、そこまで考えても、たたき台だということだ。

部下自身の提案がよければ採用する。これはたたき台があるからこそ、部下は提案しやすくなるという仕掛けでもある。

それならこうやったほうがいい。という風に。

 

もちろん、2のような上司がいれば自分の力を思う存分発揮させてくれるだろう。

売上目標は大事だが、部下が知りたいのは、

自分のコントロール範囲で何ができるか?

もしくは、自分のコントロール範囲を広げてもいいのか?だ。

 

500万という数字は、上司たちの間だけで話し合えばいいことだ。

上司の仕事は、

部下の意識と売り上げを合致させる戦術を練ること、

部下の意識を売り上げに変えることではない。