もう人間にルールや規則はいらない。
1つにまとめようとするから争いが起こるんだ。
そもそもなぜルールができるのか。
何か悪いことが起きたから?
何か悪いことを起きないようにするため?
ルールは何かを制限することが多い。
これをしなさい。
あれをしなさい。
これをしたらダメ。
あれをしたらダメ。
一体誰が決めたのだろうか。
みんな?
世間?
民主主義でいえば多数派だ。
そうだ、現代では多数決が正義とされる。
多くの人を尊重すると聞くと公平に感じられるかもしれない。
しかし、多数を取る人が正義とは限らない。
もしあなたがサラリーマンとしよう。
社長の意見に反対できるだろうか?
力のある者に逆らえるだろうか?
多数決とは多数の賛同を得ているわけではないのだ。
むしろ少数派の暴君が支配していることの方が多い。
では、反対の少数派とは誰か。
社会からはみ出した人達か?
バカな人達か?
落ちこぼれの低俗な人間なのか。
本当にそうなのか?
革命はいつだって少数派から生まれる。
一見力のない者が、時に強大な権力を覆すことが起こる。
常識的に考えると、
多くの人が強い者に着いてしまうだろう。
少数派は弱い立場として考えられる。
しかし、
しかしだ!
本当に強い人間は、!
圧倒的な強さに立ち向かう獣ような人間は、!
少数派の中にこそいるのだ!
そして、
いつだって私たちは
そんな人間に憧れるのではないか!
勇気をもらうのではないか!
ものすごく人間的で、そして動物的な行為だ!
常識的な考え、ルール。
暴君が作ったルール。
論理的、ロジック、目標設定、計画、そんな賢い選択というのは、一見正しく思えてしまう。
しかし、
じつはそれは人を弱く、
獣の感覚を失わせてしまってるのではないだろうか。
だから、私は賢い人に興味がわかない。
量産型の一流なんて興味がない。
それよりも、
どんくさくて、
社会に適合できない、
自分の居場所がないと感じている人に会うと、
個人の光るものを感じることがある。
それは動物的感覚に近いもの。
あぁ、この人は人間なんだって思える。
所詮、
賢い人間が見せるものは手品に過ぎない。
小賢しい人間がやることだ。
まるで凄いことをやってのけたように数字や論理を振りかざし、タネや仕掛けがあり、誰でも出来るのだと信じ込ませ、民衆をルールで縛り付ける。
私こそ正義だ!
私に続けと!
小賢しい手品師の真似をしても、それは小賢しい人間の手のひらの上で踊っているだけに過ぎない。
でも君はそんなものに騙されない人間だ。
そのルールに疑いを持つ。
何がすごいのかわからない。
なぜか?
それは君は魔法使いだからだ。
手品師ではなく、真の魔法使いだからだ。
ルールは魔法使いをただの凡人に変えてしまう。
どうか、どうか、
あなたの魔法を信じてほしい。
きっとそれは人間が大好きな愛の魔法だから。