人生はなぞるものじゃない、描くものだ。

"人一人が一生をかけて描いた絵は何よりも美しい"私の人生で出会った人のことや、僕が日々考えていることをかいていくブログ。

責任者はどこか。

仕事をしていると、こうするべき、あーするべき、そんな各々の提案が出てくる。

 

すべてを採用することは不可能だろうし、矛盾することも少なくない。

 

僕はルールや規則というものが嫌いだ。

特に善悪を決定するルールが大嫌いだ。

ルールを決めないというルールは好きだ。

 

なぜかというと、いつのまにかルールが一人歩きしてしまうからだ。

 

例えば、

誰かの物を借りたらありがとうと言わなければいけない。

というルールを作ったとしよう。

 

一見当たり前で良いルールだと感じるが、

口下手な人は?

シャイで言葉を発しれない人は?

ルール上だと悪になってしまう。

 

それは極端だというだろう。

でもルールというのは黒白はっきりつけてしまうものなのだ。

 

感謝はしてるけど、言葉にできない。

そんなことだってあるはずだ。

でもルールにしてしまうと、感情面は視界に入らなくなる。

 

ルールを守ったか、守ってないか、

それが善悪の判断になってしまうのだ。

 

だから、僕はルールはほとんど作らない。

個人個人の倫理観や、道徳心に委ねる。

 

こういうと利用されるとか、騙されるとか不安になる人もいるかもしれない。

 

僕はいつも責任者は誰か。ということを考える。

 

こうするべき、あーするべき、と思ったとする。でもその責任は誰がとるのか。

 

例えば、ありがとうを言うべき。と思ったなら、あなたが従えばいい。

 

でも他人がそれに従って不利益がでたら、

あなたは責任をとるのか。

とらないだろう。

そもそも他人の人生の責任はとれない。

 

だから、他人に〇〇すべき。

なんて言う人は無責任な人である。

 

でも、それに従うのか、従わないのか決めるのはその人自身であるから、非はないと言えばないだろう。

 

要は他人のアドバイス

重要かどうかも、あなた次第であり、

それに従うか従わないかもあなた次第であり、

どんな結果になっても、あなたの選択なのである。

 

僕は自分の人生に他人を出させないし、他人の人生にも介入しない。

 

こう言うと多くの人が、自己中だと言う。

まぁそう思うのもその人次第だから、

好きに思えばいい。

 

僕は自己中だと思ってないし、逆に他人の人生を尊重する利他的な人間である。と自分で思っている。

 

それを知らずに自己中だと決めつける人のほうが自己中ではないだろうか。

 

他人の人生に口を出し、自分の自己満足のために他人の尊厳を踏みにじる。

そんな哀しい連鎖が続いている。

 

どうしてこうなった。

いつからこうなった。

 

責任者はどこか。