人生はなぞるものじゃない、描くものだ。

"人一人が一生をかけて描いた絵は何よりも美しい"私の人生で出会った人のことや、僕が日々考えていることをかいていくブログ。

あなたの喜ぶ顔が見たい

こんにちは。

公園のベンチで一人ランチをしながら書いてます。

マーシーです。

 

あなたは今、好きな人いますか?

気づくとその人のことばかり考えてしまいますよね。

今何してるんだろう、

どんなこと考えているんだろうって。

 

それだけで、なんだか楽しくなったり、

とてもあたたかい気持ちになりますよね。

 

きっとその好きな人は、 

私のことを考えてないかもしれない。

でも、それでもいいやって思える。

 

自分の気づかない時に、

知らないところで、

誰かが自分の幸せを祈ってくれている。 

それってとっても素敵なことだと思うんです。

 

だから、こう考えてみました。

 

僕の気づかない時に、

知らないところで、

誰かが僕の幸せを祈ってくれてるかもしれない。

 

僕はあなたのことを

知っているかもしれないし、

知らないかもしれない、

でも、ありがとう。

 

気が付けば、

家、食べ物、服、友達、仕事。

どこかの誰かが「誰か」の幸せを願って作ってくれたもの。

「誰か」というのは僕だけではないけど、

僕を含めた「誰か」の幸せのために社会は動いているのかもしれません。

 

だから、僕も好きな人のためにできることをしようと思います。

 あなたの喜ぶ顔が見たい。

あなたが笑ってくれるなら僕も幸せです。

 

と、桜の木の下で遊んでいる、

どこかの母親と子どもを見て感じました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

「あなたと一緒に歩く時は、 ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

サッカレー(小説家)

 

他人のアドバイスより自分の感情を大事にするべき

起業してから1年。

まだまだ出口が見えない状態ですが、基本的に楽観主義なので、なんとかなるって思いは持っています、

 

そんな僕に、たくさんの先輩社長さんが声を掛けてくれるのです。

大変ありがたいことなのですが、

君には○○が足らない。

もっとこうすべきだ。

と助言をくださるのです。

 

最初は勉強になるだろうと思って聞いていたのですが、だんだんと自分のエネルギーがなくなっていくことに気づきました。

 

これはまずいな。

 

そう思った僕は、

ある時から自分の意見を唱えたり、

お誘いを断ることにしまた。

 

すると、

君には感謝が足りない。

ビジネスは人の繋がりが一番大事なんだ。

と再び助言をいただきました。

 

確かにこの方の言っていることは的を得ています。

それでも、他人から正しいと思われることより、自分で正しいと思うことをするために、起業したわけです。

この方とは、ありがとうございます。とお伝えし、少し距離を置くことにしました。

 

経営者は孤独と言われます。

その孤独を経営者同士で分かち合うことって少なくありません。でも、それはサラリーマンが飲み屋で愚痴るのとほとんど変わりません。

 

今は理解されなくても、批判されても、この先にたくさんの人を幸せにすることができる。と信じて進んでいく経営者でありたい。

 

自分で考えて自分で決める。

誰かの一方的なアドバイスを鵜呑みしない。

 

それが経営であり、それが人生の醍醐味だと考えています。

 

普段から従業員に一方的なアドバイスや助言はしないよう気を付けています。

言いたくなることはありますが、ぐっと耐えます。

自分で考えて自分で解決できるはずだと信じているからです。

僕ができることは、いつでも相談にのるよ。という雰囲気を作ること。

そして何より、彼ら、彼女らの人生を邪魔しないこと。

 

一方的なアドバイスというのは、他人の人生の邪魔になってしまいます。

「あなたのためを思って」本当にそうなのでしょうか?

本当の愛とは、

「相手の意志を尊重し、ぐっと耐えて、信じて見守ること。」

そう信じています。

もう人間にルールや規則はいらない。

1つにまとめようとするから争いが起こるんだ。

 

 

そもそもなぜルールができるのか。

何か悪いことが起きたから?

何か悪いことを起きないようにするため?

 

ルールは何かを制限することが多い。

これをしなさい。

あれをしなさい。

これをしたらダメ。

あれをしたらダメ。

 

一体誰が決めたのだろうか。

みんな?

世間?

民主主義でいえば多数派だ。

そうだ、現代では多数決が正義とされる。

多くの人を尊重すると聞くと公平に感じられるかもしれない。

しかし、多数を取る人が正義とは限らない。

 

もしあなたがサラリーマンとしよう。

社長の意見に反対できるだろうか?

力のある者に逆らえるだろうか?

 

多数決とは多数の賛同を得ているわけではないのだ。

むしろ少数派の暴君が支配していることの方が多い。

 

では、反対の少数派とは誰か。

社会からはみ出した人達か?

バカな人達か?

落ちこぼれの低俗な人間なのか。 

 

本当にそうなのか?

 

革命はいつだって少数派から生まれる。

一見力のない者が、時に強大な権力を覆すことが起こる。

 

常識的に考えると、

多くの人が強い者に着いてしまうだろう。

少数派は弱い立場として考えられる。

 

しかし、

しかしだ!

 

本当に強い人間は、!

圧倒的な強さに立ち向かう獣ような人間は、!

少数派の中にこそいるのだ!

 

そして、

いつだって私たちは

そんな人間に憧れるのではないか!

勇気をもらうのではないか!

ものすごく人間的で、そして動物的な行為だ!

 

常識的な考え、ルール。

暴君が作ったルール。

論理的、ロジック、目標設定、計画、そんな賢い選択というのは、一見正しく思えてしまう。

 

しかし、

じつはそれは人を弱く、

獣の感覚を失わせてしまってるのではないだろうか。

 

だから、私は賢い人に興味がわかない。

量産型の一流なんて興味がない。

 

それよりも、

どんくさくて、

社会に適合できない、

自分の居場所がないと感じている人に会うと、

個人の光るものを感じることがある。

 

それは動物的感覚に近いもの。

あぁ、この人は人間なんだって思える。

 

 

所詮、

賢い人間が見せるものは手品に過ぎない。

小賢しい人間がやることだ。

まるで凄いことをやってのけたように数字や論理を振りかざし、タネや仕掛けがあり、誰でも出来るのだと信じ込ませ、民衆をルールで縛り付ける。

私こそ正義だ!

私に続けと!

 

小賢しい手品師の真似をしても、それは小賢しい人間の手のひらの上で踊っているだけに過ぎない。

 

でも君はそんなものに騙されない人間だ。

そのルールに疑いを持つ。

何がすごいのかわからない。

なぜか?

それは君は魔法使いだからだ。

手品師ではなく、真の魔法使いだからだ。

 

ルールは魔法使いをただの凡人に変えてしまう。

 

どうか、どうか、

あなたの魔法を信じてほしい。

きっとそれは人間が大好きな愛の魔法だから。

 

 

落ち込んだ時、誰かに否定された時に声に出したい言葉

こんにちは。

 

生きていれば、傷ついたり、落ち込んだりするときってありますよね。

なんでこんなこともできないの?

それは間違ってるよ。

もっとこうすればいいのに。

 

そんなアドバイスを受けるたびに、

あーぁ、私ってダメだなぁ。

どうしてうまくできないんだろ。

迷惑ばっかりかけて・・・。

 

私は必要のない人間なんだ。

って思ってしまいます。

僕もそんな経験を何度もしてきました。

 

人格を否定されたり、

バカにされたり、

無視されたり、

道具のような扱いをされたり。

 

そんな時にぜひ使って欲しい言葉があります。

声に出せないなら、心の中で呟いてみてください。

きっと、あなたの本当の声が聞こえてきます。

 

その言葉は

「それでも」

 

 

どんな言葉を言われても、

どんな否定的な言葉を言われても、

それでも!と言ってみてください。

 

私ってダメだなぁ・・・それでも!

私が間違ってるのかなぁ・・・それでも!

 

「それでも」の後の言葉って何が出てくるかわかりますか?

 

確かにダメかもしれない。それでも、

私は・・・したい!

 

確かに間違ってるのかもしれない。それでも、

私は・・・したい!

 

周りの声や常識、ルールや当たり前という考え方。

そういうあなたではないノイズに騙されない。

「あなただけの答え」が聞こえてくるはずです。

 

私は私なんだ。

自分の気持ちを大切にする言葉です。

 

それに、

「それでも」という言葉は、

相手の意見を否定しているわけではありません。

 

「あなたの意見はわかったわ。でも、私はこうしたいの。」

 

こう言われたら、相手は何も言えません。

誰だって他人を100%コントロールすることはできないのですから。

あなたの気持ちはあなただけのものです。

 

ぜひ「それでも」という言葉を使ってみてください。

何かが変わるかもしれませんよ。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

"ぼくはぼくでいることで人に好かれたい…つきあってる人たちがいいから、好かれるじゃいやなんだ。ぼく自身の値打ちで好かれたいんだ!"

チャーリーブラウン

 

行動ができない時は

行動ができない。

変わりたくても変われない。

腰が重い。

なんてダメなんだって劣等感感じますよね。

 

僕もそうでした。

でも考え方を変えたら、すんなりと行動に移せるようになりました。

そのヒントをお話しします。

 

 

◯◯をやってみたい。

そう感じたら一旦思考を止めることです。

これが大事。

 

そうしなければ、

でも…だって…と、

やらない理由を頭が考えはじめるんです。

これは止めることは困難です。

 

だから、一旦止める。

どうやって?という思考もいけない。

できない理由を頭が考えはじめるからだ。

 

僕が思考の癖にしているのは、

◯◯やってみたいなぁ。

試しにやってみるか。

そうだなぁ、まずは、、、

 

と言えば、脳がこの後の行動を見つけてくれます。

図書館行ってみようかな。かもしれませんし、スマホで検索しはじめるかもしれません。

 

ほら、行動できたでしょ?

 

え?違う?

 

まだ何もやってない?

 

まさにそれが一番のネックなんです。

人間の脳は超次元の高性能GPSです。

 

目的地を見つけてくれるんじゃありません、

目的地の行き方を狂いなく示します。

 

もう一度いいますよ。

目的地を見つけてくれるんじゃない、

行き方を示すんです。

 

何が言いたいかわかりますか?

では聞きます。

そもそも、なぜ、あなたは◯◯をやりたい。

と思ったのでしょうか?

それは誰が考えたのでしょうか。

 

あなたの脳です。

でもおかしいですよね。

 

脳は目的地は見つけません。

行き方を示すだけです。

 

何が言いたいかというと、

 

◯◯をやりたい。

という考えそのものが、

本当の目的地へ行く為の方法の一つなんです。

目的地そのものではないんです。

ここ大事です。

 

なので、

スマホで調べたのも、

図書館へ行くのも、

それでもう行動は完了してるんです。

次はまた脳に聞けばいいんです。

 

◯◯になりたい。

というのは、

 

まず◯◯になりたい。

という方角に向かいなさい。

その後、また案内しますから。

ということです。

 

行動できないんじゃなくて、目的と手段を履き違えてるだけなんです。

 

最初の一歩でいいんです。

それさえ乗り越えれば、また新しい方向が脳から出されます。

 

でも、一度決めたものは続けるべきだ。などの常識や世間体がくる。

自分の脳からくるものか、外からの意思なのかしっかり見極めが大事です。

 

 

責任者はどこか。

仕事をしていると、こうするべき、あーするべき、そんな各々の提案が出てくる。

 

すべてを採用することは不可能だろうし、矛盾することも少なくない。

 

僕はルールや規則というものが嫌いだ。

特に善悪を決定するルールが大嫌いだ。

ルールを決めないというルールは好きだ。

 

なぜかというと、いつのまにかルールが一人歩きしてしまうからだ。

 

例えば、

誰かの物を借りたらありがとうと言わなければいけない。

というルールを作ったとしよう。

 

一見当たり前で良いルールだと感じるが、

口下手な人は?

シャイで言葉を発しれない人は?

ルール上だと悪になってしまう。

 

それは極端だというだろう。

でもルールというのは黒白はっきりつけてしまうものなのだ。

 

感謝はしてるけど、言葉にできない。

そんなことだってあるはずだ。

でもルールにしてしまうと、感情面は視界に入らなくなる。

 

ルールを守ったか、守ってないか、

それが善悪の判断になってしまうのだ。

 

だから、僕はルールはほとんど作らない。

個人個人の倫理観や、道徳心に委ねる。

 

こういうと利用されるとか、騙されるとか不安になる人もいるかもしれない。

 

僕はいつも責任者は誰か。ということを考える。

 

こうするべき、あーするべき、と思ったとする。でもその責任は誰がとるのか。

 

例えば、ありがとうを言うべき。と思ったなら、あなたが従えばいい。

 

でも他人がそれに従って不利益がでたら、

あなたは責任をとるのか。

とらないだろう。

そもそも他人の人生の責任はとれない。

 

だから、他人に〇〇すべき。

なんて言う人は無責任な人である。

 

でも、それに従うのか、従わないのか決めるのはその人自身であるから、非はないと言えばないだろう。

 

要は他人のアドバイス

重要かどうかも、あなた次第であり、

それに従うか従わないかもあなた次第であり、

どんな結果になっても、あなたの選択なのである。

 

僕は自分の人生に他人を出させないし、他人の人生にも介入しない。

 

こう言うと多くの人が、自己中だと言う。

まぁそう思うのもその人次第だから、

好きに思えばいい。

 

僕は自己中だと思ってないし、逆に他人の人生を尊重する利他的な人間である。と自分で思っている。

 

それを知らずに自己中だと決めつける人のほうが自己中ではないだろうか。

 

他人の人生に口を出し、自分の自己満足のために他人の尊厳を踏みにじる。

そんな哀しい連鎖が続いている。

 

どうしてこうなった。

いつからこうなった。

 

責任者はどこか。

決断力を磨く

人生は決断の連続だ。

どっちがいいかな。

どっちが正解かな。

 

それを調べるために

メリットとデメリットを

考える作業にうつる。

 

でも、それで答えでたことある?

 

 

迷った時はね

「どっちが正しいか」

なんて考えちゃダメよ

日が暮れちゃうわ

 

頭で考えなきゃいいのよ

答えはもっと下

あなたのことなら

あなたの胸が知ってるもんよ

「どっちが楽しいか」で決めなさい

 

宇宙兄弟」第39話/金子シャロン

 

この言葉ほんとに好き。

 

そう、心はどちらを選ぶべきか知ってる。

迷わせるのは、外部からのノイズのせいだ。

 

失敗したらどう思われるだろう。

常識的に考えたらおかしいよな。

どっちが得だろう?損だろう?

 

こんなものは